75歳以上のばあちゃんたちが働ける会社
~商業デザインから地域デザインへのシフト~
うきはの宝株式会社 代表取締役社長 大熊 充 氏
(りょうちく支部)
地域貢献のために若者の雇用創生に取り組むも、なかなか成果が得られず。
地域で多くの聞き取り調査の結果、始めた事業とは…。
自暴自棄に陥る
今回の取材は、マスコミでも注目を浴びるうきはの宝(株)の大熊充さんです。まずその波乱万丈の生い立ちからお聞きしました。
大熊さんは昭和55(1980)年7月、うきは市に生まれました。渋々、高校に進みますが1ヶ月とも経たずドロップアウト(退学)します。
そこからはバイト人生を歩みます。バイク好きが高じて、バイク屋になりたいと思っていました。必要な資格を取得するために仙台の専門学校に進みます。そんな折、バイクで自損事故を起こしてしまいました。一命は取り留めたものの、車いす生活を余儀なくされます。医者からは「バイク屋はあきらめろ」と宣告されます。3ヶ月も経つと誰もお見舞いに来なくなりました。夢も破れ、自損事故であるために誰かにあたることもできず、20代半ばの大熊さんは心折れてしまいました。
おばあちゃんたちとの出会い
入院生活では、夜のナースステーションに不安定な状況の方々が集められ、大熊さんは高齢のおばあちゃんたちに囲まれていました。「兄ちゃん、どんな事故したの?」「あんた何の仕事してるの?」こんな問いかけにも心閉ざしていました。
「おばあちゃんたちにとっては、若い人が入ってきて珍しくてイジってみたかったんでしょうね。始めは何も答えませんでしたが、あんたはまだ若い、まだやり直しがきくよと言いたかったのかもしれませんね」
やがて少しずつコミュニケーションを図るようになりました。おばあちゃんたちの明るさに助けられ、体も心も回復していくのでした。入院生活は約4年にわたりました。
仕事を探す
28歳になった大熊さんは仕事を探します。時はリーマンショックを迎えており、面接で20社以上に断られてしまいました。「社会が私を必要としていない」とまたも挫折を味わいます。しかし、ここで発想の転換をします。「だったら必要とされる人間になろう!」と。
うきはに戻り、自分の得意なことを考えてみました。バイク屋に勤めていた時に修得した鈑金加工技術で金属製品を作り、当時流行り始めていたネット通販を始めました。モノには自信があったのですが、全然売れません。その理由を考えてみました。それはデザインであり、見せ方であり、伝え方だという結論に達しました。そこで自己流ながらも工夫していきました。そのおかげで順調にネット販売が伸びてきました。
しかし、材料に使っていた真鍮や銅が急騰し始め採算が取れなくなってきました。そこで製品作成はあきらめ、デザイン業に特化することにし、『大熊Webデザイン事務所』を立ち上げました。2014年のことです。そのうちに地域の方から声が掛かるようになり、実績が出てきました。
地域貢献 ~誰のために何をするか~
知り合いから同友会に誘われ入会します。同友会の地域に貢献するという考え方に共感していました。具体的には、若者の雇用創生となりますが、採用しては辞めていくという繰り返しで、一向に成果が出ないことに悩んでいました。
またデザインについても、我流で押し通していたので、改めて基礎から学んでいこうと決心しました。2018年に博多にある日本デザイン学院・ソーシャルデザイン科に入ります。
学校のイベントで木藤亮太氏(日南市油津商店街を再生させ地域活性化請負人と呼ばれる)の言葉に感銘を受けました。「地域を活性化させるためには、誰かが『旗振り』しなければならない。その人は決して優秀でなくていい。しかし、情熱がなければならない。そしてその旗振りは君だ」と大熊さんが指名されたのでした。さらにソーシャルデザイン科の先崎哲進先生に勧められた『株式会社ボーダレス・ジャパン』が主催するボーダレスアカデミーという社会起業家育成の学校に通い、「誰のために何をするか」を明確にすることを教えられます。大熊さんは20代にバイク事故を起こして入院した時にそこで勇気づけてくれたおばあちゃんたちの顔が浮かびました。
そこで地元の高齢者に直接会って聞き取り調査を始めました。8ヶ月にわたり3000人を超える人に会いました。 「どんなこと、何に困っているのかを聞き取りしました。そこで分かったことは、働きたいという高齢者は少なからずいる。年金だけでは生活費が足りない。しかし、内職のような単純作業ではなく自分の得意な分野・特性を活かし付加価値のある仕事がしたい。働く仲間やお客さんと接したい、ということでした」。こうして集めたエビデンスは確固たる確信へと変わっていきました。おばあちゃんには知恵と経験があります。それを継承していくことも大事なことです。おばあちゃんの知財を結集させて地域を活性化させていく、まさに商業デザインから地域デザインへのシフトでした。
『ばあちゃん食堂』開店!
2019年10月、『ばあちゃん食堂』を開店させました。同友会に倣い、理念を掲げました。
『75歳以上のおばあちゃんたちに生きがいと収入を作る』
食堂は評判を呼び順調に実績を上げていきました。スタッフは75歳以上のおばあちゃんたちで、シフトを組んでいます。ちなみに75歳未満は「ばあちゃんジュニア」と呼ばれています。
料理は出汁からとって野菜をふんだんに使った月替わりメニューです。「世の中におばあちゃんっ子は多いと思います。訪れるお客様は『懐かしいおばあちゃんの味』と共感してくれます。多少高めの価格設定ですが、これが働くおばあちゃんの豊かな生活につながっているという満足感もあるようです」。また通販専用の『万能まぶし』は大ヒットし、現在制作待ちの状態です。
「モノじゃなく、コトに共感してもらっています」と大熊さんは目を細めます。
理念追求型企業
『ばあちゃん食堂』はよくボランティアやNPO活動と思われますが、自己資金で運営しています。しかし、単なる利益追求ではなく『理念追求』です。全国から問い合わせがある中で、惜しみなくそのノウハウを伝えます。
働き方という面では厚生労働省が、SDGsという切り口では環境省が、農業活性化では農林水産省から問い合わせが来ており、その取り組みがマスコミに紹介されています。
「私は全国の町に一つは『75歳以上』が働ける会社があっていいと思いますし、この2年足らずで全国に広がりました。要は『伝え方』次第だと思います」
課題もあります。現在での雇用保険に加入するには週に20時間以上働かなければならないという条件があり、おばあちゃんにとっては足かせとなっています。「これらは私たちがムーブメントを興して時代に合った制度にしなければならないと考えています」
老舗酒造会社の㈱いそのさわが、このたび複合施設に様変わりするのにあたり、本社機能を移していく計画だということです。
多世代型協働
取材の最後に、大熊さんの考える自立型企業についてお伺いしました。「働く人の得意技・特性を活かして付加価値の高い製品・サービスを提供する会社。そのためにはプロデュースできるスタッフとのそれぞれの関わり合いが大切だと思います。その思いを伝えることで共感が生まれてくると思います。うちの場合、おばあちゃんだけがいて成立する事業ではありません。私どものようなプロデュースするスタッフがいなければなりません。まさに多世代型協働といえます」と締めていただきました。
取材協力ありがとうございます。
このたび、うきはの宝(株)は「第20回福岡県男女共同参画表彰」(社会における女性の活躍推進部門)を受賞しました。
うきはの宝株式会社
創業 | 2019年10月 |
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住所 | うきは市浮羽町浮羽756 |
電話 | 0943-76-9688 |
従業員数 | 17名(うちパート・アルバイト・契約14名) |
URL | https://ukihanotakara.com |
事業概要 | 「ばあちゃん食堂」を運営。うきは市の農村で75歳以上のおばあちゃんたちが働くことで「生きがい」と「収入を得られる」会社がうきはの宝(株)です。 |
取 材 広報部
文章担当 菅原 弘(東支部)
写 真 富谷正弘(玄海支部)