”福“を創る
〜企業DNAを踏襲して〜
有限会社福創工業
代表取締役社長 板橋 優 氏【中央支部】
三代目社長に就いた板橋優さんは、会社に根付く社風を成文化し、さらに自分の思いも付け加えました。全社一丸の経営に挑んでいます。
溶接加工の会社
今回の自立型企業の訪問先は、大野城市にある溶接加工業の㈲福創工業です。代表取締役社長の板橋優さんが出迎えてくれました。業務の加工工程は、切る・曲げる・溶接・穴あけです。「扱う素材は、鉄・ステンレス・アルミ・真鍮・銅などです。特に真鍮と銅は溶接の技術が難しく、ニッチな市場なので扱う企業も少ないためわが社の『強み』と言えます」と板橋さんは話します。
そもそも真鍮とは、銅と亜鉛を混ぜ合わせた合金を指し、別名「黄銅(おうどう・こうどう)」と呼ばれます。強さとしなやかさのバランスが取れた金属です。身近なところでは5円玉やガステーブルのバーナーヘッド、管楽器にも使われます。英語でブラスと言いブラスバンドはここからきています。
営業エリアは福岡市及び周辺地域で、取引先は内装業者・看板業者・工務店・木工業者です。
主な製作物は店舗の内装金物、小型・中型看板、建築金物で、具体的には商業施設のららぽーとやゆめタウン、イオンなどに納められています。
間もなく創業50年
父親の太吉さんは、もともと家具屋に勤めていました。昭和50(1975)年に独立して創業させました。
昭和52(1977)年には板橋さんが誕生します。家業を継ぐ意思はないと伝えて大学を卒業後、ガソリンスタンド、物流業での事務職、空港などで働きました。父親が会社の経営で悩んでいると知り、平成21(2009)年32歳の時に後継者として入社するのでした。
はじめの一年は現場に入り、仕事内容を学びます。その後は営業として様々な会社を訪問しました。当時は鉄工所が飛込み営業するのは珍しかったと言います。
同友会に入る
実は、父親は同友会(中央支部)の会員でした。板橋さんもゲストとして幾度となく参加しその流れで入会しました。平成23(2011)年のことです。ある会員さんから、「同友会に入って会社をどうしたいのか」と尋ねられて、明確に答えられない自分がいました。そこで2時間ほど説教されたと言います。すぐさま『あすなろ塾』と『経営指針作成セミナー』に参加するのでした。
経営理念をつくる
(有)福創工業には成文化された経営理念はありませんでした。しかし、初代がいつも口癖のように言っていた言葉がありました。
『期待に応えるのは当たりまえ!期待以上のモノを創る!!』
あすなろ塾でそれを経営理念にしました。
初代は決して縛り付けるタイプではありませんでした。営業畑出身でお客様のことを大切に考えており、お客様に満足していただければ、その結果、売上になり利益が生まれるという考えです。
板橋さんはその後、経営指針作成セミナーにも参加し自社の経営を見つめ直しました。平成24(2012)年、平成27(2015)年、令和3(2021)年と合わせて3回参加しました。「自分の支部からの参加者をもっと増やしていきたいですね」と本音も出ました。
その後、支部の垣根を越えて西支部の『ワンシート作成セミナー』にも参加しています。こうして学びを深めていく中で、父から受け継いだ企業DNAを踏襲しつつも、自分の思いを表して経営理念に次の1項を付け加えました。
『技術・サービスを以って、“福”を創る』
もともと、社名の福創工業の『福』は福岡という地名とともに『幸福』も表すのです。
『お客様の喜びはわが社の喜び全社員の物心両面の豊かさの追求に努めます』
と宣言しています。具体的には、「給料とやりがい」と板橋さんは社員に話しています。
また100年企業を目指すとの明記もありますが「これは通過点」と言います。
業者に納品しますが、現場に収まったところを実際に見に行き、確認をして社内にフィードバックしています。こうした実績の積み重ねが長い歴史につながっていくものと信じています。
営業戦略
製作物は規格品ではないので、お客様に具体的なイメージを持ってもらうために、博多支部の古川淳一さん((有)ニッコー・ネット)に協力してもらいチラシ作成しました。
「プロにお任せください」とのキャッチコピーをして「こんな看板、こんな金物が欲しいという要望にお応えします」とうたっています。
さらにホームページを作り、お客様を誘導するようにしています。「鉄工所ではあまりホームページを持つところがないかもしれません。企業としての存在感を示す意味もあります」。
HPを通じて、熊本の業者から沖縄のホテルの物件を受注できました。
三代目就任
父親は平成24(2012)年に専務・工場長の谷さんに二代目社長になってもらうことにしました。令和4(2022)年に板橋さんが三代目社長になり、父親と谷さんはそれぞれ相談役と会長になりました。承継は非常にスムーズにいきました。
就任当時、数字(売上)をつくらなければならないという使命感やプレッシャーを感じていました。繁忙期、大分の旅館の物件を受注しました。板橋さんは独断で仕事を進めていきました。採寸、製作の手配、現場での収まり具合の確認、それによる修正加工の手配。それらを一人で進めていったために社内の工程に混乱をきたしました。お客様にも迷惑をかけることとなりました。
「父がよく言っていた『お客様の期待以上のことをする』というのには優先順位があることに気づきました。この件では『納期』が最優先だったのです。そして逆算していき、お客様に頼むところは頼む。大事なことはお客様とも、社内でもコミュニケーションを深めるということでした」と振り返ります。
同友会を通じての学び
同友会では社員との接し方を学びました。「昨年定年を迎えた社員さんがいるんですが、働きやすい職場だったと言ってくれたのがとても嬉しかったです」と語ります。
支部内では、経営指針作成を推し進める立場にいて、経営労働委員会ではあすなろ塾や経営指針作成セミナーのスタッフを積極的にしています。「仲間をもっと増やしたいですね」と語ります。
同友会での活動を通して自社の課題も明確にしていきます。
新素材の挑戦、産官学の連携、AI対策、そして営業力向上があります。「『待ち』から『攻め』に『提案営業』できるよう頑張っていきます」と言います。
自社の強みである「真鍮と銅の溶接の技術」の伝承も今後の課題です。
取材の最後に板橋さんの考える『自立型企業』についてお伺いしました。
「経営指針書をつくり、社員全員で実践していく会社。そして社員と私自身、経営者の共育システムを構築し日々研鑽していく会社だと思います」と締めていただきました。
取材協力ありがとうございます。
有限会社福創工業
創業 | 1975年10月21日 |
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住所 | 大野城市仲畑4-3-12 |
電話 | 092-591-4370 |
従業員数 | 8名 |
事業概要 | 店舗装飾 看板金物製作 ステンレス板金金物製作。 |
URL | https://fukusou-industry.com |
取 材 広報部
文章担当 菅原 弘(東支部)
写 真 富谷正弘(玄海支部)