社員との『ムダ話』で何かが生まれる会社

〜社員の不平不満は最高のヒント〜

株式会社 博多印刷  代表取締役社長 白石 雄士

株式会社 博多印刷
代表取締役社長 白石 雄士

優秀な営業マンとしての成功体験がまったく通用しないどころか、会社の空気と業績は最悪に。経営者はどう変わっていったのでしょうか。

後継者として入社する

 今回の取材先は(株)博多印刷・代表取締役社長の白石雄士さんです。祖父の行秀さんが昭和20年に会社を立ち上げました。58年には、父親の秀充さんが2代目に就任します。

 雄士さんは次男として生まれます。白石家では長男が継ぐことが既定路線だったので、雄士さんは大学卒業後、外資系の人材派遣会社に就職します。入社3年目、社内で優秀な成績を収めました。正月に実家に帰省して自慢話をしていた時に父親から突然「雄士、お前が会社を継げ」と言われました。もうずいぶん前に、長男とは道を違えていたことを知ります。本人も関心があり後継者として入社することを決断したのでした。平成22年4月、25歳の時です。

面従(めんじゅう)腹背(ふくはい)(めんじゅうふくはい)

 白石さんは東京支店で奔走するなどして、徐々に責任のある立場になっていきました。社員には、「元気に挨拶しよう」「メールはすぐに返信しよう」など自らの成功体験を基に様々なことで指示を飛ばします。自分では『当たり前』のことと認識していました。社員たちも「ハイ!」と返事していましたが、何か違和感がありました。

 高校の後輩が仕事を発注してくれるという連絡があり、福岡の本社を訪ねるように告げました。後日、返事がありました。「先輩の会社、暗い。俺が行っても挨拶しないし、誰も話かけて来ない。発注やめます」。社員たちは、表面は服従するように見せかけ内心は反抗している、まさに面従腹背だったのでした。

 その頃の会社の業績は悪化の一途を辿っていました。白石さんは平成27年社長になり、父親は会長に就きました。

きっかけ

 ジリ貧の中「会社を何とかしないといけない」と白石さんは焦燥の念にかられます。ありとあらゆる猛勉強の中で1冊の本と出会います。著者は迫俊亮氏(当時、ミニット・アジア・パシフィック㈱代表取締役兼CEO)です。じつは彼は中学・高校の同級生でした。ミスターミニット(靴・バッグの修理業)で成功を収めますが、「彼も、『社員との壁』という自分と同じ苦労をしていたことがわかりました。そして彼がとった行動は、自分自身の成長よりも社員一人ひとりと向き合って、よりよく働ける環境づくりでした」。白石さんは「経営はまず『人』と向き合うことなんだ」と気づきました。

 また、自動車王の異名をとるヘンリー・フォード氏(1893〜1947)が、ある会合でフォード氏に経営に関する様々な質問が寄せられました。その度に彼自身が答えるのではなく担当を呼び答えさせていました。会衆から「フォードさんは何も知らないのですね」の発言に「私は私より優秀な人たちを雇い、原因を究明してもらっています。その間私は頭をスッキリにした状態に保つことができ、より大事なことに時間を費やすことができるのです」。この逸話が腹に落ちた白石さんは、社員が成長し、その実力を発揮する環境づくりを決断しました。

社長が変わる̶会社が変わる

 「何かつらいことはありませんか」。白石さんは、社員の話をひたすら聞くようになりました。会議などといった堅苦しい場ではなく、立ち話や工場の現場などで聞いて回りました。残業、有給休暇消化、処遇、研修制度など一つひとつ解決していきました。

 例を挙げてみます。業務上、化学物質を使うことがあります。自分たちの健康を守るために、どうすればやめられるかを考えるようになりました。改善が進み、環境にもよく技術が向上し早く帰れるようになりました。また営業部門にはパソコンが一台しかなく、パソコンの順番待ちが残業になっていたので、一人に一台パソコンとスマホを支給しました。

 仕事上必要な資格、『シャー:shear(煎断=機械で裁断すること)』は教育を受けて資格を取らなければなりませんが、工場は全員が取得しました。今後も必要と思われる知識や技術の習得に関わる費用はすべて会社負担としました。

こうして社長が変わることで会社が変わっていき、並行して平成30年頃には業績も回復基調となっていきました。

 採用は敢えて中途採用にしています。「社会人として苦労したことがある人なら、きっとウチの会社の良さに気づいてくれるはずです」。案の定、募集をかけると多数の応募があると言います。

取得した資格の修了証

じつは弾劾書(嘆願書?)が出ていた

 「一番苦しい頃、じつは社員から弾劾書が出されていたのです。私に手渡すことができず会長に渡していたのでした」。これが社内のレイアウトを変えた時にポロッと出てきたのです。会長はその当時、社長に渡すと「雄士が折れてしまう」と考えその存在を握りつぶしていたのです。それはA4サイズの用紙にびっしりと苦情が書かれていました。「相当なショックでした。会長は『今ならわかるだろう』と優しく諭してくれました」。

同友会入会

 同友会には平成30年に入会しています。会長名義で代理出席したことはありましたが、当時の印象は飲んでばかりの集団だと思いました。勉強の時間よりも飲んでいる時間の方が長い。その一方で、何か重要なお役目の話になると、誰も引き受けたがらない。しかし、ここでも、ハッと気づきます。「以前のウチと同じではないか。これは人の集団を「組織にする仕組み」を失敗しながら学べる機会なのだ」。

さらに同友会では『人間尊重の経営』という考え方が60年も前からあり、『人』を知ることの重要さを再確認しました。

プル型営業へ

 コロナ禍の真っ最中に、ブロック会でオンライン工場見学を企画しました。社員たちにとっては新しいチャレンジで、精一杯のおもてなしの心をもって取り組みました。終えた頃には全員がクタクタになるほどでしたが、心地よい達成感に包まれたと言います。

 そこで白石さんは「一番の強みは人材なのだから、直接お客様と社員が触れ合えるオープン・ファクトリーは営業戦術として、また、社員教育の上でも効果あり」と考えました。地域の子どもたちやお客様など様々なシーンで工場見学を実施し、2022年には過去最高件数の新規顧客をお迎えする一方で、営業部門の負担は激減しました。また、思わぬ効果として先日、専門学校の学生を受け入れたところ、「どうしてもウチに就職したいという学生さんがでてきて、40年ぶりの新卒採用につながりました」と笑顔で話してくれました。

ミッション

 (株)博多印刷の経営理念に『印刷』という言葉はありません。しかし、印刷業はモノづくりのノウハウ・スキルの集大成です。さらにデータを扱うスペシャリストでもあります。印刷物を提供するのではなく、お客様の課題(売上げを上げたい、利益を上げたいなど)を解決する会社であることを目指していますが、そのためにはまず、自分たち(社員)が幸せになることが最優先と考えます。

 「あるお客様の経営課題を解決するためにペーパーレス化が必要と判断した時、容赦無く印刷物を吹き飛ばしました。その結果、物品の売り切りという業態から継続的なサービス利用料に転換、収益ポイントのスイッチに成功しました」。

ムダ話から何かが生まれる会社

 取材の最後に白石さんが考える『自立型企業』についてお伺いしました。「抽象的に聞こえるかもしれませんが、『ムダ話』から何かが生まれる会社だと思います」。

 その理由は3つあります。1つ目は、ムダ話は風通しの良い自由な職場でなければできないということ。2つ目は何気ない会話の中に職場の改善のヒントや商品・サービスのアイデアが潜んでいることが多いことです。3つ目は、知らないうちに、変革を生むためのデザイン思考が身に付くということです。「最近では20万点以上の版をクラウド上で管理するシステム構築がムダ話の中から生まれました」と締めていただきました。

取材協力ありがとうございます。

<株式会社 博多印刷>

創業 1945年11月
住所 福岡市博多区須崎町8-5
電話092-281-0041
従業員数37名(うちパート1名)
事業概要 印刷事業(販促用事務用製品)に、クロスメディア事業(WEB、AR等)も展開します。
URLhttps://www.hakata-p.co.jp/

取材/広報部 
文章/菅原 弘(東支部)
写真/富谷正弘(玄海支部)

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