地元・太宰府に『太田宏介美術館』を建てる
~それぞれの家族愛~
ギャラリー宏介株式会社
代表取締役 太田 信介氏(博多支部)
サラリーマンから画商への転身を図った太田信介さん、同友会の学びを活かしていくのでした。
弟・宏介さん、絵を描き始める
広報部取材班は、太宰府の閑静な住宅街を訪ねました。自宅を改修したギャラリーの玄関を開けると、100号の色彩豊かな絵画が迎えてくれました。太田信介さんの案内で2階のアトリエに入ると絵画の作者・宏介さんが笑顔で歓迎してくれました。
「弟の宏介が描いた絵を、販売・レンタルをメインに、その他グッズの販売や絵画展・講演会を開催しています」と太田さんは話し始めてくれました。
宏介さんは1981年生まれ、幼くして重度の知的障害を伴う自閉症を発症しました。静かな住宅街の中で時折、奇声をあげ近所に迷惑をかけていました。両親は彼が何か打ち込めるものはないかと必死に模索していました。松澤造形教室(大野城市)で、粘土細工をしていたところ、色と色との重なりに非常に興味を示しました。先生の指導で10歳のころから本格的に絵を描くようになりました。
兄・信介さん、起業する
信介さんは1974年生まれですから7歳年上の兄になります。子どものころから、家族に障がい者がいることを悩んでいました。自宅から離れた高校に進み、大学も熊本の地を選び弟のことは誰にも話さないでいました。「自分は結婚できるのだろうか」とさえ思っていたそうです。卒業して大手パチンコ店に就職し、28歳にして店長を任されるまでになりました。給料もよかったのですが、仕事はきつく転勤も多かったと言います。弟の絵に関しては『お絵描き』程度だろうという認識でした。
2012年に福岡市美術館で開催された『ナイーブな絵画展』に宏介さんが新進画家として選ばれ、信介さんも見に行きました。宏介さんの絵は、著名な草野彌生さんの作品の隣に展示されていました。宏介さんの作品にも人だかりができているのを目の当たりにします。「かわいい」「この人も福岡なんだぁ」と評判を呼んでいました。
とある日、仕事に疲れて実家に帰ると弟の絵がありました。「兄ちゃん、大丈夫だよ……」と語りかけてくれるような気持ちになり、癒されている自分がいました。この絵をもっと多くの人に知らせたい、そんな仕事ができないだろうかと思うようになりました。
それからというもの、時間を見つけては絵画展に足を運んだり、仕事で準備資金を貯めたりしていきました。そして2012年、退職して起業するのでした。
それぞれの家族愛
宏介さんが生まれて母親の愛子さんは献身的に面倒を見ます。描いた作品をポストカードにして無償でいろいろな人に渡すなど、宏介さんの存在を知ってもらうように尽力していました。
一方、父親の實さんは大手の印刷会社に勤めていましたが、宏介さんのことはひた隠しにしていました。酒によりどころを求める日々だったようです。信介さんが起業を決意したときには、わが子への思いを綴った本を自分の会社から出版しました。『自閉の子 太田宏介30歳これからもよろしく』(ダイヤモンド秀巧社印刷(株))。まさにわが子への思いが詰まっています。2015年に他界しますが、最期には「書いてよかった」と語っていたそうです。
信介さんは同じ悩みを持つ人(例えば家族に障がい者を持つ人など)に、自分たちの経験が何かのお役に立てればと思い、相談会や講演会を開催しています。
同友会に入会
異業種交流会『大志会』で源音吉さん(故人)と出会います。「経営に悩んでいます」と相談したところ、同友会を勧められすぐに入会しました。
『あすなろ塾』を受講します。「何のために仕事をするのか、自分には何ができるのか」と問われると、腑に落ちるような言葉にできず、経営指針作成セミナーには3回ほど通いました。そこでできた経営理念は次の通りです。
- お客様に絵画を通して、幸せな時間と空間をご提供します。
- 私たちは障がいに関わるすべての人に元気と勇気をお伝えする使命・責任があります。
試行錯誤の日々
『思い』はだれにも負けないものの、ビジネスモデルが確立されているわけではなく試行錯誤の日々が続きます。それなりの資金を持ってのスタートでしたが貯金は目減りしていきます。
同友会で資金の悩みを打ち明けると、金融機関との付き合い方をアドバイスしてもらいました。「サラリーマン時代には考えたこともなかったことですね」。すぐさま近くの金融機関に行って相談しました。
また、ビジネスモデルがないことは、ライバルがいないことだと諭され、「もっと自信を持っていけ」と激励されました。絵に関する思いや兄弟愛について心を込めて説明していくようになりました。
自立型企業とは、ビジョンを明確にすることができる会社でしょう。
また2泊3日の経営指針作成セミナーで、田村志朗さん((株)梓書院)からは、思いを本にしましょうと提案され『僕らは「きょうだい」で起業する』を出版しました。その本がきっかけでメディアの取り上げられるようになりました。さらに田村さんの知り合いで台湾の障がい者の兄弟を紹介してもらい、2023年台湾で個展を開きました。
「台湾の個展は必ずしも成功(売り上げ面)とはいきませんでしたが、行動する事・挑戦する事の大切さを学びました」と話します。
ビジョンを高らかにに宣言する
応援する人が増えていると手応えを感じています。そこでセミナーで策定した十年ビジョンを確信できるようになりました。
『地元・太宰府に太田宏介美術館を建てる』。
こう宣言することで、メディア・行政・金融機関、そして何よりお客様がますます「応援したい」と思うようになりました。
「夢が近い目標になりつつあります。今年からファンクラブも立ち上げました」。
URL https://www.kousuke-ohta.com/gallery
今後の展望
「宏介は、『うまく描こう』『高く売ろう』『失敗したらどうしよう』なんて考えないんです。感情の赴くままに表現しているだけなんです。それがいいんです。いずれは海外で活動して、絵を見て喜ぶ人を増やしていきたいと思います」。
応援してもらう会社
取材の最後に太田さんの考える『自立型企業』についてお伺いしました。
『自立』という言葉に応じてまずこう話してくれました。「まず障がいを持つ方が自立する手助けをしたいですね。そして関わる人に元気・勇気を届けたいです。そして自立型企業とは、ビジョンを明確にすることができる会社でしょう。そのことにより周りの人たちが応援してくれると思います。最後に、ぜひ宏介の絵を『生』で観に来てください」。
ちなみに信介さんは無事伴侶に巡り合い、お子さんにも恵まれました。学校では友達から「おじさん、テレビに出ていたね」と自慢のおじさんのようです。
取材協力ありがとうございました。
ギャラリー宏介 株式会社
創業 | 2012年 |
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住所 | 太宰府市長浦台4-8-16 |
電話 | 092-410-3850 |
従業員数 | 社員1名・パート2名 |
事業概要 | 画家太田宏介の絵画販売・絵画レンタル・ギャラリー運営。 |
事業概要 | https://www.kousuke-ohta.com/gallery/ |
取材/広報部
文章/菅原 弘(東支部)
写真/富谷正弘(玄海支部)