職場環境改善に取り組む
~チャレンジ精神は同友会で学んだ~
有限会社 日髙ボーリング工業
代表取締役 平川 祐二 氏(糸島支部)
取材班は、令和4年1月に完成したばかりの新社屋にお伺いしました。
新たな船出に決意のほどをお聞きしました。
事業承継
冒頭、(有)日髙ボーリング工業の代表取締役の平川祐二さんと、社名との違いを説明していただきました。「妻の実家が日髙姓で、義父の日髙三男がコンクリート穿せんこう孔に特化して昭和57(1982)年に創業しました。その後私が承継しました。穿孔とは、(コンクリートの)壁に丸い孔(あな)をダイヤモンドの刃で開ける作業のことです。電気配線や水道の配管、クーラーの冷媒配管などを通します」
平川さんは、福岡市で生まれました。大学卒業の頃はバブルが弾け就職氷河期を迎えていました。何とか食品業界の会社に就職し、宮崎県に配属されて都城エリアを担当し活躍します。
「朝9時から夜の12時まで働き、それから仲間と食事に出ていました。ブラック(企業)と言えばブラックでしたが、それはそれで楽しかったです。おかげ様で休まなくてもいい体質ができました」と苦笑する平川さんです。
そして、大学時代から交際していた奥さんと結婚しました。奥さんの父親は病に伏しており、余命いくばくもないと宣言されていました。「どうか日髙の家業を継いで欲しいと懇願されました」。熟慮の末、平川さんは事業承継を決断し3年ほど勤めた会社を退き、未知の世界へ飛び込むのでした。平成9(1997)年11月のことです。
必死に取り組む
平川さんは、建設業の営業経験もなければ技術もありません。あるのは、頑丈な体と人一倍のバイタリティーです。
翌年7月、先代が他界し、2代目の代表に就任しました。「仕事がまだまだ全然できなかったので、お客様の7割は離れていきました。残っていただいた3割の方のために今後の仕事人生を捧げようと必死で働きました。私のような右も左もわからない者に仕事を任せていただけるのですから、感謝の気持ちしかありませんでした」と平川さんは振り返ります。
少しずつではありますが社員を採用し、平成16(2004)年には(有)日髙ボーリング工業として法人を設立しました。
同友会との出会い
平成18(2006)年に姉歯事件(耐震偽造問題)、同20(2008)年にリーマンショックを迎え経営環境が大きく変化していきます。そんな折、取引先の社長さんから同友会に誘われます。南支部の例会に初めて参加した時に、経営者が真剣に意見を交わしている姿を見て「この会は他と違うぞ」と感じました。そして、『あすなろ塾』と『経営指針作成セミナー』に参加しました。「常々会社運営をこうしたいと頭の中で考えていたのですが、成文化という作業で明確になり「私がやりたかったことはこういうことだ」と思いました」
策定した経営理念は次の通りです。
一、お客様の満足、安心、信頼を提供する事を目指します。
一、お客様との信頼関係を構築し、会社を存続させることによって地域、社会に貢献します。
一、社員全員の成長と幸せを目指します。
同友会活動を通じて、チャレンジ精神を学びました。
お客様の要望をひたすら聞いて、自社でできることを探り実直に取り組みました。平成21(2009)年には資格を取得し、アンカー工事(躯体に薬品を注入しアンカーを埋め込んでいく作業)を導入していきます。平成29(2017)年には資格を取得してコンクリート内X線探査事業を展開していきます。メイン事業から派生した事業です。
「穿孔工事やアンカー工事はお客様が自分でやろうと思えばできる作業ですが、あまりやりたがらない分野です。またX線探査は、X線業者を手配する必要がなく、ウチ1社で済むので安く上がります。ウチとしては売上が上がりますから、ウィン・ウィンの関係です。当社の業界ではどこでも当たり前にやっている事業ですが当社のような小さな会社が挑戦できたのは同友会で学んだ「企業を発展させる経営者の責任」という考え方でした」
さらに同友会で学びを深めていきます。南支部での同友塾(俎まないたの鯉の会=財務を含め経営体制について会員からアドバイスをもらう会)でのことです。平川さんは『内部留保』の少なさを厳しく指摘されました。それ以来、一定の利益を計上していったところ、設備投資はいつも全て現金で支払うことができるようになってきたと言います。
「当社の仕事は、水を使ってコンクリートを切ることです。コンクリートの汚泥が発生して施工面が汚れます。最終的に塗装したり壁紙を貼ったりして隠れはしますが、孔あけ工事をしたところがわからないくらい掃除をします。これが他社との違いです。機動力や営業力がない代わりに、当たり前に誰でもできることを当たり前にやるということを徹底しています。以前は工程の決定権は当社にありませんでしたが、最近では多くのお客様との信頼関係が構築できて、当社の日程を十分に理解していただけるようになりました」と平川さんは話します
人材育成のために
平川さんは『人』の課題に取り組みます。同友会で「新卒採用は、働く環境を整えること」と学びます。振り返ると、業界でありがちな長時間労働の『ブラック体質』を思い知らされます。
まず勤務時間の見直しから着手し、祝日と隔週土曜日を休日としました。「今後は完全週休2日制も視野に入れています」。定時退社を促進し、繁忙期の残業代を明確にしました。有給休暇取得率も上がりました。
給料面も改訂していきます。資格取得者には手当を付けました。社員の勉強会への参加も会社側からの補助を図るなど支援をしています。
「職場環境改善が人材の育成になり、それで社員が増えていけば会社も発展するというものです。特に地元(糸島地区)の若手を雇用していけば、地域の貢献にもなると思います」。同友会会員企業を参考にして独自の採用チラシを作成して地元の学校を訪問しています。「すぐには結果につながりませんが、こうした地味な活動がいずれ身を結ぶと信じています」。今後はSNS活用も視野に入れているそうです。
糸島支部発足
平川さんは、経営と同友会活動は通ずるものがあると確信しています。
同友会活動には積極的に参加していました。平成25(2013)年、糸島支部誕生とともに移籍し、平成28(2016)年から2年間支部長を務めました。
「とにかくどうやったら会員さんが活動に参画してくれるかを考えていました。それが会員さんの企業の発展につながると信じています」
今は糸島支部の全会員と糸島市中小企業振興基本条例の活動に尽力しています。「まだ若い支部です。こういう支部が条例の活動に参画できれば、地域発展の一助になりますし、地域も同友会の存在を高く認識してくれると思います」と熱く語ります。
環境の変化に対応できる会社
コロナ禍においても、経営指針書に盛り込まれた行動計画の遂行によって充実した活動をしていると言います。「新社屋は完成しました。採用活動のスケジュール作成、地元の高校に就職の斡旋、社員研修のカリキュラムづくりなどに取り組んでいます」
取材の最後に平川さんの考える自立型企業についてお伺いしました。
「時代は常に変化しています。企業が発展するために少しでも進化を目指そうと動く会社でしょうか。企業の変革に社会性の価値が大きければ大きいほど良いと思います。そういう意識を常に持ち、社員が生き生きと働く会社を目指していきたいと思います」。新たな社屋にて、決意を含めてお聞きしました。
取材協力ありがとうございます。
有限会社 日髙ボーリング工業
創業 | 1982年4月 |
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住所 | 糸島市波多江駅北1-9-11 |
電話 | 092-332-0409 |
従業員数 | 5名 |
URL | http://www.hidaka-bk.jp |
事業概要 | コンクリート内X線探査、ダイヤモンド穿孔工事、各種アンカー工事 |
取 材 広報部
文章担当 菅原 弘(東支部)
写 真 富谷正弘(玄海支部)