右手にビジョン、左手に財務

~社員を最も信頼できるパートナーと考える~

株式会社 マンジャ
代表取締役 徳原 聖治 氏【博多支部】

創業して試行錯誤を重ねる徳原聖治さん。経営指針書との出会いが経営を変えました。

創業したものの

 今回の取材は(株)マンジャの徳原聖治さんです。徳原さんは、1973年に山口県宇部市に生まれました。大学を卒業後、生鮮食品会社に就職し、百貨店などで販売業務を担当しました。
 独立を決意し、2002年に福岡市中央区小笹で『惣菜の持ち帰り』のお店として(株)マンジャを設立しました。社名の由来はイタリア語で『食べる』を意味するmang iareと、万人の方をイメージした『万者』を掛けた造語です。
 中食とは、外食・内食の対義語で、持ち帰ってすぐに食べられる総菜やコンビニ弁当などを指します。徳原さんは流行の魁として、和・洋・中の食材50品目をそろえ、イートインコーナーも設けました。メディアにも取り上げられ、上々のスタートを切りました。

 ところが、そもそもお客様は品数が豊富なのも楽しみの一つのため、品薄になると不満が続出します。それをカバーするとフードロスが増えてしまい、20〜30%に及んだことがありました。また、お客様が集中する来店時間帯は、駐車場が混み合い、クレームが発生しました。そうして、経営は赤字となっていきました。赤字を取り返そうとすると長時間労働となり、創業時からの料理人の退職が相次ぎました。店舗だけの売上だけでは採算が合わず、スーパーの卸販売、全国の百貨店の催事での販売など販路を広げましたが、安定した売上にはつながりませんでした。2009年から地域の空港に空弁(そらべん)を、2011年には博多駅ビルの開業もあり、駅での弁当や寿司の販売と販路を広げていきました。さらに卸販売だけでは厳しいと思い、「仕出し」に力を入れました。「何とか売上はありましたが、まだまだ黒字というわけにはいきませんでした」と徳原さんは振り返ります。

『経営指針書』を学ぶ

 2014年のことです。資金繰りに苦しみ、経営の危機に瀕する徳原さんを前職の新入社員の時からずっと見守っていた外部コンサルの方から、名古屋のベテラン経営者に相談することを勧められました。決算書3期分を持ってくるように言われ、恥ずかしながら持参しました。

 そこで同年代で異業種の経営者4人と外部コンサル、ベテラン経営者2人で勉強会が始まりました。資金不足で悩んだ経営者、後継者の課題などそれぞれの立場で生き方を模索していきました。

 そこで徳原さんが出会ったのは、まさに『経営指針書』だったのです。

まず経営者としての心構えを確認します。

心 情 現在の人として・リーダーとしての思い。
信 条(信念) 心情を受けてリーダーとしてどう生きるか、その覚悟・決意。
理 念 社長の思い・哲学・価値観・人生観・ロマン。

そして徳原さんは次のような経営理念を策定しました。

『心躍るものづくりとサービスの創造』

その後、1年かけて10年ビジョンや経営計画、財務分析、SWOT分析と展開していきました。

10年ビジョン

 創業から赤字続きだった徳原さんには、到底10年後のあり様など描けるはずもありませんでした。しかしこうアドバイスされたのでした。

  • 大風呂敷を広げてみる
  • 願いが叶っていると考える。

さらに重要なことは

  • こうなりたいと願うこと
  • こうなりたいと描くこと
  • こうなりたいと信じること

徳原さんは勇気を出して次のようなビジョンを描きました。

『フードプロデューサーとして、ご当地の良さを出すプロフェッショナルとなる』

具体的には弁当・惣菜・寿司の企画・製造・販売や働く環境、人間力やスキルの向上に至るまで、事細かに考えました。

 「今になって振り返ると、描いたことが結構実現していますね」と徳原さんは語ります。

財務分析とSWOT分析そして経営計画

財務分析をして気づいたのは、売上の高い部門(空港向けの弁当)が大きな赤字を出していることでした。空港向けの弁当は製造する時間帯(早朝)が通常のお弁当とずれるので人件費がかさみます。そこでその部門の深夜製造を取りやめ、お昼に作れる商品の開発を進めて参りました。改めて自社のS(強み)W(弱み)O(機会・チャンス)T(脅威)を分析していき、選択と集中を図ります。

 経営計画は10年後から逆算して5年後・単年度計画を作成していきます。

 この作業をしていくうちに赤字から黒字への転換が図られていきました。

財務分析とSWOT分析そして経営計画

財務分析をして気づいたのは、売上の高い部門(空港向けの弁当)が大きな赤字を出していることでした。空港向けの弁当は製造する時間帯(早朝)が通常のお弁当とずれるので人件費がかさみます。そこでその部門の深夜製造を取りやめ、お昼に作れる商品の開発を進めて参りました。改めて自社のS(強み)W(弱み)O(機会・チャンス)T(脅威)を分析していき、選択と集中を図ります。

 経営計画は10年後から逆算して5年後・単年度計画を作成していきます。

 この作業をしていくうちに赤字から黒字への転換が図られていきました。

No.2の退職

 「経営がわかってきた私が経営指針書を作成してトップダウンで徹底すれば会社はうまくいく」と徳原さんは考えていました。

黒字転換を喜んでいるのも束の間、創業当時から会社を支えてくれた営業部長、いわゆる№2が退職し同業他社へ転職してしまいました。彼は現場一辺倒で、売上形成の重圧と過重労働などで疲弊していたのでした。

同友会で『労使見解』

 その頃、(株)フィッチジャパンの舩木友希さん(博多支部所属)から同友会を紹介され入会しました。経営指針作成セミナーに参加し『労使見解』に出会います。

  経営者の経営姿勢の確立、経営指針書の成文化と実践……ここまでは、徳原さんもやっていたわけですが、「社員を最も信頼できるパートナーと考え高い次元で共に育ちあう教育」が重要であるということに気づきました。

  「私は独りよがりでした。社員と共に学び育つことが大事なのです。経営者としての『覚悟』が決まりました」。

1年後、なんとNo.2が復帰してきました。彼いわく「マンジャで自由にやらせてもらったことを再確認しました。大手企業ではできませんでした」。

  こうして全社一丸の体制が築かれていくのでした。

その後迎えたコロナ禍では、売上8割ダウンという壊滅的な状況になりました。徳原さんは経営指針書を何度も見直しました。同友会活動には積極的に参加しました。

同友会の仲間からの応援・協力を得て勇気をもらいました。心中は不安でいっぱいでした。徳原さん、No.2、そして全スタッフが一致団結しいろいろチャレンジしていきました。たまたま復帰したNo.2のご縁から継続した仕事をもらい、コロナ禍もしのぎながら成長する機会を得ました。

選ばれる弁当屋になるために

 現在では団体向けの『仕出し』をメインにしています。仕出しというのは、受注してから調理して指定の場所に届けるスタイルです。フードロスも限りなくゼロに近づき、利益率も上昇しました。選ばれる弁当屋になるためには、お客様の要望に応えることが重要です。好みはもちろんのこと、食物アレルギー、コンタミネーション(様々な理由から、食べてはいけない食品が意図せずに最終的に加工食品に含まれてしまうことがありそれを除去すること)など、大手では敬遠しがちな作業があります。「ウチのベテランさんが根気よく対応してくれています。これが中小企業の生き残る道であると、マンジャは挑戦していきます。そして、社員とはコミュニケーションを深めていきます。何のために働いているのか。それはお客様に喜ばれ、充実した職場環境を築き、自分の人生を充実させるためです」。
 新しい経営理念は『あるとうれしいをカタチにします』となりました。

自社にしかできない仕事で付加価値を高める

 次に目指すのは分散型経営です。新規に黒毛和牛の商品開発です。「黒毛和牛を6次産業化した方と出会う機会がありました。現在徹底して勉強しています。
良いものをよりリーズナブルに提供できないか考えて取り組んでいます。また先方で使わなくなった部位をウチの加工技術で再利用するというSDGsの活動にもつながっています」と話します。
 「私は経営危機が怖くて学び続けてきました。今ある経営課題を明らかにしていきます。そして経営指針書をアップデート(更新)していき、危機を未然に防ぐことができると思います。学んでいるうちに、ビジョンを描くことが大事だとわかってきました」。
 取材の最後に徳原さんが考える自立型企業についてお伺いしました。
「他社ではできないことをやり、付加価値を高めて商品やサービスを提供していく会社でしょうか。ヒトを大切にして、モノ・カネ・情報を財務の面から分析していく。やるかやらないかというのは経営者の決断です。多数決ではないですね。右手にビジョン、左手に財務です」と締めていただきました。 取材協力ありがとうございます。

株式会社 マンジャ

創業 2002年12月
住所 福岡市中央区小笹1-22-25
電話092-531-9888
従業員数35名(うちパート31名)
URLhttp://www.mangia.jp/
事業概要 法人団体専用のお届け弁当を営んでおります。

取  材 広報部
文章担当 菅原 弘(東支部)
写  真 富谷正弘(玄海支部)

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